2012年4月6日金曜日

ライン



子供みたいに無心に、先なんてみないで無駄な考えは持たずにもう少しピュアにシンプルにいきたい!

笑っている人をみれば笑えるしいつも負の底に居座り続けてしまうひとと関わっていてもなにもプラスなことはない。そりゃ人生、より楽しく笑って過ごせたほうがいいことはそんなことは当たり前に誰でも、私だってわかっている。私だってただ何か誰かのプラスになにかのきっかけにいつもなりたがっているだけ。そうなれたならそれだけでもういい。


フランスに向かう飛行機の中でマリリンの七日間の恋を観た。
フランスではダイアナ妃が亡くなった現場を車で走った。
二人とも有名だけど私は二人については全然知っていなくて、帰ってきて少ししてから気になって色々調べてみてた。そしたら二人の女性も共通している点といえば死因は未だに謎であること。ボーダーラインであること。彼女たちがどう生きていたのかなんてネットでの情報を集めて知っただけで、ほんとうのところなんて全然分からないし知る事もできない。それに知ったところで全く関係なくて掘り下げたってなんにも意味ないんだけどただただ知った生涯が哀しくて気づいたら朝でした。(時差ボケじゃないよ笑)

なんでこんなことでいつまでも人のこと哀しんで、時間も無駄だし楽しい事すりゃいいのにーとか考えるんだけど、カフェに行って美味しいコーヒーを飲んだりうつくしいもの、そうでないものいろんなものをみて聞いてっていう行為すら凄く虚しくなってしまうというか。
周囲のキラキラによってかえってうちに秘めた干涸びた部分が浮き彫りになってしまう。
映画や時間に時間を費やし得ることは多いけどそれは主体をいきていない気もしてくる。

そんな中マツコの"生きるのに理由なんてないのよ。生活をしなくちゃいけないの人間は。喜びを知りなさい。""悟ろうとすることなんて傲慢。"って言う言葉が染みた。




"ものごとが、みえすぎる、感じすぎるというのは、これは、まあ、不幸といえば不幸であるかもしれんな。人間は或る意味じゃ鈍感だからやっていけるんだろう。だからこそ社会というものも成り立っていけるんだろうと思う。みえすぎる目で眺めてみると、この社会なんてのは汚れと欺瞞のカタマリかも知れない。不可解でやりきれないものの巨大なカタマリなのかも知れないな。それを感じてしまう心は、不幸だろうな。"
"ただ同時に鈍感な者には見えないキレイなもの、ウツクシイものも、またそこには見えてくる事も有るだろう。それは逆に大変な幸福かもしれない"
"だけど、どっちにしろ、そういう人間は孤独にならざるを得ないだろうな。—まあ誰であれ、人間は孤独なのこもしれないが、しかし大概の人間には、余りものごとを感じすぎないですむ鈍感さというのが備わっておる。絶望を緩和してくれる鎮痛剤のような感じかもしれないな。それも無しにむきだしの孤独を目のあたりにして生きる苦しさ、というのは、どういうものだろうな。そういうタチの人間にしてみれば、何もかも大概の事が、ただもう、馬鹿馬鹿しく、面倒くさいだけなんじゃないかな。ボーッとして居るしかテが無いのだろう"
"そんなふうな、もはや何にも関心の持てない、空っぽの、ガランとした心には、妙なモノが棲みつく事がある"
"そうだな―ロマンとでも言うのかな"
という小説の一部引用。(←多分絶対こういうことってしちゃいけない...!)

多分こういうことは考えたって先は無いからきっと多くのひとはこういうことはあまり考えないようにするし気づかないふりしているんだと思う。そのほうがしあわせにいきられるし。

例えば私はアルバイト先で心ない言葉の行き来を聞いたとき、そのひとからそういう言葉が発せられてしまうそのひとの心が悲しいとか、そのひとをそういう醜い言葉を吐き出させる感情にさせてしまう世の中が悲しいとかを傲慢にも思って、世の中の汚さみたいなものをみ続けてしまう。日常の中でいちいちいろんなことで立ち止まっていつも冷えきっていて腹の底じゃ悲しくなってそれを見て見ぬふりが出来ない。
私は馬鹿だからまだまだ気づかないことも多くあるけどこの中で語られている誰かのように考えてしまうタチというか、足踏みしてばかり。

そしてだからといって例えば太宰のようにあそこまで飛んでいってしまいたくないし、まあいきたくても彼は凄すぎるからいけないだろうが笑 でもそんな風に突然投げ出し終わりにしちゃいそう。元彼にはそういうのって自暴自棄じゃないかと言われて確かにそんな気もした。

50.60歳までいきたいという欲もなく結局は悪く言えば暇つぶしで。
最早その暇つぶしを笑って良くすることのしあわせすら分からない。
だから死ぬ一秒に幸せだったなあと思えるようにいきたいとかもわからない。
むしろそう思うのはしあわせすぎるせいなのか。
それにキレイなものウツクシイものがピュアすぎる透きとおったものがみえたとしたら、かえってその衝撃で全て捨ててしまいそう。

真空で窒息しては大気で息をふきかえすといった繰り返しをして、明滅する全てを思い、虚無を手に入れてしまうけれど意味を希求する一つの心の中できしみ合う。という作者が言うそんな中にずっと昔からいる。子供のようになりたいといいつつまだまだ大人になれていないのか。そういう中でいきる陸の魚はどの位いるのだろうか。
"他人の哀しみにさえいつまでも苦しんでしまうような、そんな人間は死んでしまうしかないのよ"そういう人間をとなりで見送って悟った女性のこの言葉を受けて、やっぱりそれがサガだとしてもそれが周りをひどくかなしくさせることを知るし、私もそういう人間であり同時にそういう人間を見送ったことのある立場でもあるが、やっぱり周りにプラスな何かで在りたがっている人間にとってその選択は出来ないし、でも自分自身についてはとにかくどうでもいいと思ってしまう思いもあるもんだからまたもがいてを繰り返す。

この先の無い考えをやめて上手い転換が出来る日がくるだろうか。いきるってそういうことを探し続けるものなのかなあ。と考える午前三時。きっと明日の朝には馬鹿馬鹿しく思える文面。


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