コーヒー飲んで読書するのが気持ちのいいお天気です。
本の中に入ってしまえばそんなお天気なんて忘れちゃうんだけどね。
無限にあると思っている広くて大きい宇宙はもしかしたらだれかのおもちゃ箱の中でちっぽけなものかもしれない
あるいは何者かの体のなかの細胞のひとつかも
あるいは誰かの空想が創り出した世界、夢の中かも
あるいは何者かが面白がって私たちを傍観しているのかも・・・
(下の画像みたいに)
なんてくだらないことを子供の頃から宇宙と空想と哲学が好きな私は考えてました。
私の思う当たり前や幾多の研究によって裏付けされてきたものたちは別の次元から、異なる世界から、他の何者かから、隣人かのものさしからではまったく異なる見解がそこにはさらっとあって簡単にくつ返されてしまうかもしれない
そしたら何もかもが不確かで何もほんとなんてないかもしれなくて、結局すべて無意味なんじゃないかって誰かさんのように自分がなぜ生きていなければならないのか全然わからないのですと言いたくなってしまうのだけど、それでも私は今日もチョコが美味しくて幸せだと思えてそれはちっぽけだけど確かな事のひとつで、そういう確かな自意識だけをもって、ただそれを積み重ねてそれだけを頼りに毎日暮らしている
私もあなたもこの世界だって全部不確かで突然眠りに落ちるようにぱたっと終わるかもしれないけど、今思うそれぞれの自意識はきっと確かだからそれでいい
それが共有してみたり発見し合えるときが来たら尚面白いかも
そう思っているから違う見解に出会う恐ろしさも、知らないものに出会うことも、否定されることも、いつかなにかが終わることも、ちっとも恐れていることなどない。
とだただらだらと稚拙な抽象的な言葉で書いてみましたが浅ましすぎて恥ずかしくなってきたのでさようなら
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